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2006年11月27日
スクール・オブ・ロックが命を救う!? NO.115
明日から議会(第4回定例会)が始まります。12月1日には、一般質問に立つ予定。うん?ひょっとして原稿は・・・。0です。白紙です。選挙の準備やら何かと時間をさかれることが多く、気が付けば明日から議会。明日の議案聞き取り会でネタを固めますか−。同じ日に質問に立つ中村勝議員(同会派)は、原稿を既に早々と書き終え、推敲まで終えているらしい(カレのブログによれば)。焦りますなあ〜・・・。そんなわけで、本日は終日、質問内容に関わる情報の収拾に追われました。
それはともかく。連日、テレビや新聞で、子どものいじめによる自殺の問題が集中的に報道されている。自分の子どもも、小さい頃は、いじめた、いじめられたのといろいろ心配したもの。この問題は、思いのほか複雑で根が深い。自分たちが子どもの時代にも、悪ガキや不良(死語ですが)がいっぱいいて、いじめも問題になっていた。しかし、現代のいじめを同じレベルで受け止めてしまうと、きっと、解決の手法を見誤ってしまうのだろう。それだけ、陰湿で、集団的で、日常的であり、また被害者、加害者が瞬時に入れ替わる異様な世界のようだ。
そんな中で、「いじめた子の出席停止を積極的に行うべし」と教育再生会議が緊急提言するのだそうだ。相変わらず、大人たちの考えることにろくなものはない。もちろん、物理的暴力を使ってのいじめは、厳罰が必要なのは言うまでもない。でも、陰湿ないじめは、スキル性のガンのようなもの。より巧妙に深く沈んでいくことを助長するだけにならないだろうか。「いじめに荷担したり故意に見過ごしたりした教員には懲戒」とも。まあ、元々教師自らが荷担したり、見て見ぬふりなんて言うのは論外(まあ、それも現実にあるからヒドイ話しですが)。でも、見えないケースの方が圧倒的に多い訳で、透視能力でもあれば別だが、見抜きもなかなか難しい現実がある。
自分も含めて、本来人間には、サディスティック(加虐性)な要素が幾分か備わっていると思う。それを打ち消しているのは、親からの愛情をスタートに、自分以外の人間からもらう愛情の力だと思う。でも、そのスタートの親の愛情からして、今の子どもたちは崩されている。愛情不足あり、愛情過多もあり、いびつな愛情の形もありの。家庭や家族のあり方からもう一度考え直すべきだろう。
しかし、それには長いスパンの時間が必要で、そのこととは別に、今、すぐに子どもたちの命を守らなくてはならない状況にあるのも確かなこと。そうなると、子どもたちに、自分の心を守る武器、道具をどれだけ与えられるか。わたしたち大人たちに今できることは、それしかないのでは思う。大人だって、心が壊れそうになることがある。でも、何とか生きているのは、自覚があるないは別として、自分なりに壊れそうになった心を守る道具を持っているんだろうと思う。道具の中身は、人それぞれ。ちなみに、ワタシは好きな洋楽のお陰で何度か命拾い?している。
カラオケ、酒、ゲーム、賭事、スポーツ、グルメ・・・大人たちは、いろいろと道具を駆使して生き延びているだけ。子どもたちには、子どもたちなりの道具をたくさんバラエティに与えてあげたい。それが、生き抜く力を与える教育だと思う。学校で教えることも少し幅を広げてはどうだろうか。どこの国かは忘れたけれど、欧州のある国では、授業で音楽のバンドをやらせているところがあった。まさに、映画のスクール・オブ・ロック(余談ですが、この作品は痛快です)の世界だ。それくらい、思い切った施策を日本の教育現場もやってほしいもの(つい音楽の話に行ってしまいますねえ、すみません)。
何ととりとめのない話しをダラダラと。こんな暇があったら、質問原稿を早く書かんかい!
投稿者 boss_blog : 2006年11月27日 17:47