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2007年12月21日

田中徳三監督 逝く         NO.393

 田中徳三監督が昨日亡くなられました。今日のお昼の全国ニュースで報道されていたようですが(同じく夜のニュースやヤフーニュースでも)、全く知らず、夕方になって関係者から連絡をいただき、驚いた次第。大映全盛時代の、市川雷蔵の「眠狂四郎」シリーズや勝新太郎の「座頭市」シリーズなどの有名作品を監督、その後はテレビ作品の監督も務め、藤田まこと主演の必殺シリーズや、子連れ狼、桃太郎侍など数多くの時代劇を監督された巨匠です。

 そんな大監督が、この名張の住人になって16年。しかも、ワタシが住む住宅地、百合が丘に住んでいただいていることに、大変、光栄に感じていた訳ですが、突然の悲報に言葉もありません。今夜、お別れのごあいさつに伺ってきましたが、いつもの飄々とした雰囲気のお顔そのままで、今にも話しかけられそうな感じでした。11月に行われた市内のイベント「街道市」では、会場で一緒になり、元気なお姿を拝見していただけに、信じられない気がします。11月下旬に体調を崩され、橿原市内の病院に入院されていたようで、少し前までは元気にお話もされていたようです。87才。今年は30年ぶりに監督もされ、まだまだワタシたちに、いろんなものをみせていただけると思っていましたのに。

 印象に残っているのは、昨年の11月、名張青少年センターで「田中徳三映画祭」が開催され、監督作品の上映と合わせて、女優吉村志保さんとのトークショーが開催された時のこと。それまで寡黙なイメージ(ワタシにとって)だった監督が、市川雷蔵や勝新太郎の撮影の裏話を、吉村さんと一緒に、とても愉快そうに話されているのを拝見して、こちらまで楽しい気分にさせられたことが記憶に新しい。

 個人的にも、同じ街なかということもあって、お会いする度に励ましをいただいた。三重テレビの議会中継もチェックいただき、ワタシの一般質問を気に掛けて見ていただいていたと奥様からお聞きし、きっとテレビの前で、大監督からダメだしをいただいていたんだろうなと、想像すると、とてもうれしいやら恥ずかしいやら。もっと、いろいろご教示いただきたかったのですが・・・。ご葬儀は、ご家族だけで執り行われ、後日、大阪でしのぶ会が催されるようです。心からご冥福をお祈りいたします。監督、ありがとうございました。

投稿者 boss_blog : 2007年12月21日 22:02

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