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2008年08月15日

63回目の終戦記念日       NO.537

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※青蓮寺地蔵院での「平和の集い」。耕野住職の講話でスタート。

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※平和コンサート1: ル・レーブの皆さんの演奏

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※平和コンサート2: 小林美智代さんの「平和の響き」合唱

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※平和を祈って放鳩

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※黙祷

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※「平和の鐘」みんなで平和を祈って境内の梵鐘を打ち鳴らしました。

 今日は、63回目の終戦記念日です。皆さんは、どんな一日を過ごされましたか。ワタシは朝から、隣接する青蓮寺の地蔵院で開催された「平和の集い」に参加してきました。午前11時、耕野住職から「命の大切さ」と題した講話をいただいたあと、ミュージックベル・「ル・レープ」の皆さんによる「平和コンサート」等を聴かせていただき、黙とう、放鳩を終えたのちに、正午から「平和の鐘」のセレモニーが行われました。参加者の皆さんで、境内にある梵鐘を永遠の平和を祈りながら打ち鳴らします。ワタシも、初めて梵鐘を打たせてもらいました。今年は、戦後63年ということで、みんなで63回、鐘をつき鳴らしました。

 この催しも、今回が3回目。耕野住職のお話によると、100戸ばかりのこの青蓮寺の村の中でも、先の大戦で36名もの若者が命を落としたそうです。村にとっても、また、家族にとっても、本当につらく悲しい出来事だったと思います。また、同時にこの催しでは、戦時中に青蓮寺内に墜落したB29の墜落現場にも出向き、「平和の祈り」も行います。「こんな暑い日やったなあ」と、隣で祈る年配の方のお話。

 かつては、アメリカの爆撃機B29が飛来した空。また、遠い異国で命を落とした肉親に思いをはせながら見上げたであろう8月の空。鐘の音を聞きながら、ふと空を見上げると、突き抜けるような真夏の青空と白い雲の間を旅客機が進んでいくのが見える。今、この瞬間の何と平和なこと。

 そして、つい先日訪れた長崎の原爆資料館での光景を思い出した。爆心地近くの遺物。被爆直後の街の様子を写した写真。激しい爆風と熱に焦土と化した街に無残にも転がる黒こげの死体。そんな写真の前に立つと、足が止まってしまう。それは、悲しいというよりは、ただただ声が出ない。ショッキングな光景。そして、親を失ってしまった幼い子どもの叫び、愛する妻や子を死なせてしまったお父さんの嘆き、肉親を瞬時に失った人々の悲痛な思いがつづられた詩やうたを目にすると、深い悲しみが一気に攻めてくる。写真の中に横たわる死者には、それぞれ、その人の人生がその瞬間まで在ったわけで、そして、その人につながる多くの人々の存在を思うとき、一つの悲しみが何十人分にも、何百人分にも膨らんでいきます。「戦争」。なんと愚かなこと。

 誕生日がくるとワタシも50歳。戦後63年ということは、ワタシが生まれたときは、まだ戦後13年であったことになる。でも、ワタシの記憶に残る幼いころの日本の社会には、すでに「戦争」の跡は見えなかった(あくまでも子どもの目線ですが)。それどころか、高度経済成長へまい進し始めていたイメージがある。信じがたいほど、わずかな時間の中で、日本は再興を果たしていったのだろう。そんな日本人をワタシは心から誇りに思う。そして、そんな日本人であるからこそ、世界の中で、平和のために果たすべきことがあると強く思っています。

投稿者 boss_blog : 2008年08月15日 23:13

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