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2009年08月15日

終戦記念日です  NO.662

 今日は、64回目の終戦記念日です。午前中は、恒例となった近くの地蔵院青蓮寺主催の「平和の集い」に参加してきました。今回からは、名張ユネスコ協会や名張ローターアクトクラブなどの協力も得て、より充実したものになってきました。昨年も、書きましたが、ここ青蓮寺区でも100軒あまりの集落ですが、36名もの若者が先の大戦で命を落としています。また、B29の墜落現場が近くにあり、アメリカ兵11名の氏名を刻んだ石標、追悼碑があります。

 耕野住職から「命の大切さについて」お話いただいたあと、日生学園ハンドベル部の皆さんによる「平和コンサート」、地蔵院青蓮寺が制作総括した歌「平和の響き」の合唱、そして、黙とう、平和を祈っての放鳩、参加者のよる境内の梵鐘の打ち鳴らし「平和の鐘」と、続きます。今回は、ハンドベル部の皆さんと一緒に演奏させてもらったり、放鳩をさせていただいたりと、いい経験をさせていただきました。ありがとうございました。最後の、「平和の鐘」は、恒久平和を祈り、64回打ち鳴らされました。

 戦後64年。戦争そのものを知る世代が、本当に少なくなりました。戦争体験の風化が言われて久しい感じがします。今年の「平和の集い」も、昨年同様、いいお天気。青空が目にしみました。その時、ふと思い出したのは、この春に九州に視察研修に出向き、知覧の特攻記念館を訪れた時のことです。

 館内には、特攻隊として空に旅立ち、帰らぬ人となった数多くの若者の写真・遺影と、彼らが最期に書き記した手紙が一面に並べられています。意外に、若い世代のカップルたちも多く入館していて驚きました。静かな館内は、じっと、それらを見つめる人々の姿、震える肩、すすり泣きや嗚咽が響く何とも表現のしようのない、悲しい空間です。ワタシも、吸い込まれるように、その彼らの写真と最期の手紙にとらわれてしまい、涙がとまらなくなってしまいました。

 最期の手紙は、まだみんな年齢が若いせいか、自分の母親や幼い兄弟姉妹にあてたものが多かったです。そのほとんどが、「自分はちっとも恐れなどない」、「喜んで敵艦に突入していく」、「自分の死を悲しまないでほしい」、「敵艦撃沈のニュースが聞こえたら、自分だと思って喜んでほしい」という内容でした。
そして、あわせて、兄弟に家や家族のことを頼んだり、幼い弟や妹を案じたりと。なかには、「天候が悪く、命日が一日延びました・・・」なんていうのもありましたね。こちらは絶句です・・・。

 もちろん、こんな純粋な彼らを死にさしむけた当時の指導者を絶対許せるものではありませんし、教育が持つ力の恐ろしさをあらためて感じます。戦争は絶対あってはならないものであり、また、そのために平和をいかに守っていくことが大切であるか、言うまでもありません。

 しかし、彼らが、純粋に守ろうとしたものが何であったのか、このことは、別の次元の問題として自分に突き刺さっています。彼らが守ろうとしたものは、やはり、愛する家族であり、愛するふるさとであったことに間違いないと思います。今、わたしたちは、この平和な社会に生きて、自らの死をかけて守る、そんなことは考えられません。でも、愛する家族や、愛するふるさとを守る気持ちは、持っています。次世代に、平和で豊かで安心に満ちた社会をつないでいくこと、これは今を生きる私たちが次世代のために、必ず果たしていかなくてはならない責任だと思います。この8月30日も、そんな意味で考えていきたいですね。

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投稿者 boss_blog : 2009年08月15日 21:18

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