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2011年03月28日

海になりました

大切な友をなくしました
今夜、仲間から電話があり、
同僚議員の中村勝さんが亡くなられたとの一報。
病気療養中で、3月議会は欠席をされていました。
がんとの闘いであることは承知していましたが、
現在、新しい治療法にチャレンジ中と聞き、
いくらかの望みをこちらも持ち、待っていたのに。
今議会最終に、お見舞いを希望しましたが、
受け付けてくれない旨を聞き、断念したところ。
どんな状況にしろ、会いたかった。

補欠選挙で勝ちあがってきた勝さんは、期数で言えば、
ワタシと同じ同期生。同じ列に机をならべ、議員活動を
ともにしてきた。ひょうひょうとした風貌とは逆に、
心の中は熱い人だった。鳥羽を愛し、海を愛し、
島を愛し、地域の人々を愛し、なかまを愛し、
こんなにも人は自分の地域や人々を愛せるものだろうかと
不思議に思えるくらい、愛情、情熱あふれる人だった。

みんなに愛された勝さんのブログは昨年の4月21日で止まったままだ。
勝さんの闘う心が折れた日 かもしれない
更新を待っていたのに 
気象予報士でもある勝さんらしい言葉で締めくくられている
「明日の天気は変えられないが、政治や社会は変えられる・・・」。

勝さんの分もがんばらなきゃ なんて書くのはいやだ
あなたの代わりはだれにもできないから

自分も含め、仲間はみんな自分の選挙を闘っている
とりあえずは何とか自分が勝ちあがることが最優先
仲間の心配はそれから それまで無事で、元気でいて
でも、待ってはくれなかった やな世界だ

ギラギラした政治屋たちが先を争って歩く中を、
同じ歩調で歩く友を見つけたと思った
傷つけることより、傷つく方を選ぶ人にみえた
そんな弱い人間はこの世界には必要ない?
議員なんて仕事が、称賛よりも批判を浴びせられることの方が多い時代
それでも何かやらにゃきゃ、何とかしなきゃと、もがいてみる
人間らしさ丸だしの人

でも、こんなに早く失うとは思わなかった
神様は何を考えているのか、ワタシにはわからない
今年は身近な人をなくすことが多い年だった
東北関東の大震災でも多くの人が命をなくすことに
もうこれ以上、悲しい涙はみたくないと思っていたのに

言葉がなにも浮かばない
昔聞いた唄が頭をめぐる
こうしている間も、仲間はみんな闘っている
勝さんと、闘う仲間をおもい口ずさんでみる
みゆきの唄だなあ

(前略)
「暗い水の流れに打たれながら 魚たちのぼっていく
光ってるのは傷ついて はがれかけた鱗が揺れるから
いっそ水の流れに身をまかせ 流れ落ちてしまえば楽なのにね
やせこけて そんなにやせこけて 魚たちのぼっていく」

「勝つか負けるかそれはわからない
それでもとにかく闘いの 出場通知を抱きしめて
あいつは海になりました」

(中略)
ああ 小魚たちの群れきらきらと
海の中の国境を越えていく
諦めという名の鎖を 身をよじってほどいていく

「ファイト! 闘う君の唄を
闘わない奴らが笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中を
ふるえながらのぼっていけ
ファイト!」

投稿者 boss_blog : 01:02 | コメント (0)

2011年03月05日

広がりませんように NO.758

鳥インフル.jpg

 選挙が近付くにつれ、なかなか更新が思うようにまかせませんねえ。自分の要領の悪さにホトホト情けなくなります。今日は午前中、防災農水商工常任委員会・分科会で来年度予算等の審議を行ったのち、午後からは、高病原性鳥インフルエンザが発生した南伊勢町に委員全員で出向き、殺処分や埋却作業が行われている現場の視察調査を行いました。24時間体制(作業員のべ2,600人。夜中も交代で作業に従事)で、県職員、町職員の皆さんはもとより、自衛隊をはじめ多くの皆さんの協力を得て、対応にあたっていただいたお陰で、約24万羽規模の大量処理もスムーズに進みました。お疲れ様です。今後、県内においてさらなる発生がおこらないよう願うばかりです。先般の紀宝町よりはるかに規模が大きい今回の事案でしたが、同規模同等もしくはそれ以上の養鶏場は、県内に17農場もあり、発生時の作業体制の事前構築も必要かと感じました。

投稿者 boss_blog : 00:04 | コメント (0)