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2011年05月18日

名張へ戻りました NO.769

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※桂島の被災状況

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※炊き出し作業にも力が入ります

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※おいしいと言ってもらえてよかった!

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※わたしは配膳係に

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※これが「牛汁」です!

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※野々島の被災状況

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※子どもたちの笑顔に安心しました

 宮城県塩竈市(塩釜市)から、帰りも約12時間。今朝7時に名張へ帰ってきました。0泊3日、往復24時間バス移動という強行スケジュールでしたが、参加メンバーの皆さん、本当にお疲れ様でした。到着日の朝から夕暮れまでの限られた時間での活動でしたが、避難所の皆さんには、大変喜んでいただき、また、わたしたちもその笑顔から逆に元気をいただき、有意義な活動が出来たのでは、感じることが出来ました。活動を支えていただいた多くの関係者の皆さんに感謝申し上げます。

 名張のご当地グルメとして売り出し中の「牛汁」は、被災地でも好評でした。汁物だけでは頼りないとして最近は、牛汁に伊賀米コシヒカリの焼きおにぎりを中に添えています。「崩して食べるのか、そのままいただくのか」と、尋ねる方もありましたが、伊賀牛をふんだんにいれた汁と焼きおにぎりのコラボはなかなか絶妙で、おかわりの注文もいただいたり。喜んでいただいてよかったです。

 今回、被災地の皆さんに元気を出してもらおうと、「隠(なばり)牛汁協会」が炊き出しボランティアにお邪魔したのは、塩竈市の離島である、桂島と野々島の避難所、そして本土の避難所と計3か所。
それぞれ30人〜40人の避難者がいらっしゃいます。それぞれの避難所への移動の道中は、あちらこちらで倒れた家やがれきの山が見られ、津波の恐ろしさをあらためて感じさせられました。今回は、視察や調査が目的ではなく、あくまでも支援活動(わたしは牛汁配膳係)なので、あまり情報収集はできませんでしたが、それでも、いくつかお話も伺いました。「そろそろ気温が高くなってきたのに、支援物資の衣料は冬物が多い。夏物がほしい」「島の産業の漁業やノリ養殖に携わってきた人は年齢の高い人が多く、再建できるか心配」「ボランティアの人たちには長期間いてほしい」「でも、これからは自分たちが雇用される公共の復旧事業との住み分けが難しい」などなど。

いずれにしても、瞬間風速的な滞在では、多くのことはつかめませんし、十分なお役にもたちません。また、機会をあらため、少し長めのスパンで支援活動に行ければ行きたいと思います。今回の「隠(なばり)牛汁協会」の活動が、同行してくれた「伊賀タウン情報ユー・YOU」の記者の方によって、同社のホームページに動画掲載されています。お時間のある方は、ご覧ください。

投稿者 boss_blog : 2011年05月18日 23:09

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